昭和44年11月19日 夜の御理解
末永静行
御理解69節に信心は見やすいものじゃが、氏子から難しゅうする、三年五年の信心ではまだ迷いやすい、10年の信心が続いたら吾ながら喜んでわが心を奉れ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞと。
信心の喜びというものを自分の心の中にしっかり頂けれる所までが当然信心、信心者と思うんです、お道の信心にご縁を頂いてよかった、合楽にご縁を頂いてよかったと、その思われる所まで一つ信心を確かなものしていかなきゃいけない。
勿論、ここにもございますように、わが、喜んでわが心を奉れと仰るのは、本当に信心を頂いていてよかったといったような心だと思うんですね。金光様に御神縁を頂いとってよかったと言う心だと、合楽の教会に御神縁を頂いてよかったと、こう言う親先生を頂いておってよかったと、例えばそう言う心が、私は信心の喜びだとこう思うんです。
ですから、先ず親先生をよく知らなければならない、親先生の信心をよく知らなければならない、また、合楽教会のその信心をよく知らなければならない、ね、そこに、あの、金光様のご信心のいよいよありがたさというものを私は感じた、その、感じる、そういう信心にならせて頂かなきゃいけない。
今日、吉井の波多野さんが、昨日の月次祭にこの金光大神の予約を発表しております。日にちがございませんもんですから、早く申し込みたい、今日おかげを頂いて、50冊ほど申し込んでおられる昨日あって、また知らない人がたくさんあるから、とにかく、100冊申し込んでおきなさい、これはもう、お道の信心をさせて頂くなら、もう、家の宝にもなるようなご本だし、是非おかげをいただかにゃならんからというて、今日、日にちが遅れておりましたけれども、杉野さんが小倉の方へ教務所の方へ電話をかけて問い合わせてみましたら、おかげでまだ受付けるということでございましたから、おかげで100冊だけは確保する事が出来ました。
ですから、まだあと50冊ぐらい残っておる訳ですけれども、考えますと波多野さんの今日いわれることの中にですね、本当に、最後に申しますように、合楽に御神縁を頂いておったということは、金光様の信心を頂いておったということは子供達はまだ信心が、そうお参りをするという所まにいっておりませんけれども、ゆくゆくは必ずご信心を頂くようになりましょうから、その3人の子供達に一人一人に、その、金光大神覚書をですね、申し込ませて頂きましたと今日いうて、お届けがあっておりましたが、それを聞かせて頂いて思うのです、ね、結局、本当に御神縁を頂いておってよかった、合楽のご信心を頂いておってよかったとにつむ心が私は有り難い、それが、なら、どうでも子供達にもこれは、それこそ、また買えるご本ではないから、どうでもこれを一つ三人の子供達のために買うておいて、他の財産は譲れんけれども、このご本だけは譲れるというようなおかげを頂きたいというようなことをいうておられましたがね。
信心は見やすいものじゃがとこう仰るが、そこまでいくぐらいな信心が見やすい事はない、そうですね、一ヶ月も月、日参りをされるなら、ここの信心の在り方が分かります、本当に有り難いことが分かります、また、自分自身も必ず有り難くなれます、ね、ですから、信心とは結局有り難くなる稽古ですから、そこん所を、その、成る程、ご利益を目指すという事もいえますけれども、やはり信心を目指して一つ期間お参りをして見る事によって自分の心の中に有り難いなあというものが頂けたら、それを育てていく事が信心、それを育てていく事も難しい事でもない、有り難く楽しゅう育てて行けれる、ね、どうでも一つ心に、心に光をと、心に喜びをといわれますけれども、心に光を感じられる、心に喜びを感じれれる信心を頂かせて頂く、そこん所が、そこまでが私は信心だと思う。
そこまで行くにはさほど難しい事はない、ね、そういう、信心を身に付けて行かせて頂くおかげを頂かなきゃいけんと思うですね。
どうぞ。
末永静行
2006年2月24日